真夏の光線に焼かれた私たちの家族の前で

一瞬の雲の切れ間に落とされた黄色い爆弾と人間の愚かさが殺めたひとりひとりの命、当たり前にあったひとつひとつの生活を、78年経ってなお人間は忘れてしまう。

人数ではなく、焼けてしまった町の広さではなく、親を亡くした子の、娘を亡くした父の、死にゆく弟を背に抱く兄の、そのひとつひとつの痛みをどうして無視できるのだろう。

熱線で岩のように固まった赤土を見た。留守中に4人の子を亡くした夫婦が、焼き潰された家の跡に見つけ、骨さえ見つからない我が子らが還ったものだとして大切に持っていたものだった。

今朝見たはずの子の柔らかい頬をあまりにも乱暴に剥いだ怪物は、その本当の正体は、放射線でも、爆風でも、内臓を焼き骨を消す熱線でも、まして原子爆弾を落とすボタンを押した兵士でもない。

毎年当たり前に来る夏の日、水が捧げられる。78年前の同じ日に、内臓まで焼けた身体であの子が欲しがったのが水だったから。

人を憎みはしない。ただあまりにも残酷な愚かさを憎む。痛みを忘れていられる、どうしようもない愚かさを。